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ゆりかごから脳死まで(仮)

u18は素で間違えた(低学歴)

【ネタバレ注意】アマツツミ/世界観とこころ√考察

 

なんていうかオタク趣味が昂じてしまった結果、このような記事を書くことに思い至ってしまった。

今回プレイしたのはPurple softwareから発売中「アマツツミ」

 

 

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謳い文句は「言葉が紡ぐ、絆のADV」

 

ブランド的には期待値も高いですよね。最近の作品で言うなら「クロノクロック」「ハピメア」「初恋サクラメント

 

もはやブランド買いしても文句はないかと。

 

そして内容ですが、公式の開発者インタビューによると、

『アマツツミ』は主人公・誠と“言霊”という能力、それらを中心として人間関係を描いた「学園恋愛ドラマ」です。
 公開中のイメージボードより「伝奇モノかな?」という印象を持たれた方もいらっしゃったとは思うのですが――繰り返しますが「学園恋愛ドラマ」です(ある意味、本来は「伝奇モノ」寄りの主人公を学園恋愛モノに投入した、という形にもなっています)。

 ということですが、僕は敢えて、「伝奇モノ」のほうを掘り下げたいと思います。これを書く前にいろんなブログを拝見しましたが、あまり掘り下げられていなかったようなので。

開発者の言う趣旨とは外れてしまうのですが、個人的には気になる部分がいくつもありました。さすがに全√となると気後れしてしまうので、本作全体の設定的な部分とこころ√の一応の意味づけ、解釈を試みました。”こころだけに”

本当はすばらしさを感想で書けばいいのですが、どれだけ美辞麗句を並べても陳腐にしか見えないので、せめてどれだけ私が考えたか、ということからこの作品の素晴らしさをわかってもらいたい。

 

 

※この先、ネタバレ満載ですので、プレイをしてから見ることをお勧めします。

※個人的な解釈が多く含まれています!

1、「アマツツミ」―天つ罪、国つ罪

まずは「アマツツミ」というタイトル。敢えて漢字を充てるなら「天津罪」で確定かと。開発者インタビューで主人公がこころの母であり、主人公の擬似母であるあずきと閨事には至らないことについて以下のように述べています。

 本作であずきさんとのHシーンはありません――それは“国津罪(クニツツミ)”です。
 冗談はさておき、御影もあずきさんは大好きですが、さすがにHシーンを入れてしまうと、すでにモラル的にギリギリのラインにいる『主人公』に共感できなくなる方が出てしまうかもしれませんので出来ません。

 

 冗談と言ってはいますが、国つ罪の中には確かに母親と結ばれることが罪として規定されています。あずきさんは言霊によって「つくられた」とはいえ誠の「母親」です。要はタイトルと内容がそぐわないようにという配慮ですかね。

 

さて、国つ罪と対を為すように存在するのが「天つ罪」です。

 

ですが、この天つ罪の解釈が多少厄介です。もともと「天つ罪、国つ罪」は神道における罪の観念を指します。その解釈には諸説あるものの、一般的に天つ罪とは

「天上界で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が犯した農耕と祭りに関する罪」

です。

(一説によるとムラ社会での農耕に関する罪から発展したという解釈もあるようです。個人的にさらに調べてみたいところ。)

 

主人公の誠やヒロインの一人、恋塚愛の住んでいた土地は確かに農耕中心の生活をしていた、ということが読み取れます。しかしながら、物語が展開するのはこころや響子、ほたるたちのいる井中町です。

 

果たして農耕に関する罪が伝奇寄り学園恋愛モノのタイトルになるでしょうか?

 

そこで私は「天つ罪」を字面通りに解釈しました。

つまり天つ罪の「つ」を古典で言う、所属の格助詞「つ」として、簡単に言うならば「天の罪」ですね。

「天」は人を超越した存在。「罪」はそのまま。

 

即ち「アマツツミ」とは

「人間を超越した存在の犯す(犯した)罪」

である、と考えました。

 

ここで「天」の解釈について、「神道の掟や罪に則っているなら天は神のことなのでは?」と思う人がいるかもしれませんが、それについては後ほど。

 

2、誠と愛の故郷、誠の苗字

誠と愛の故郷は隔離世と言われるほど、外との交流が断たれた世界です。そこに住む人たちは言霊と呼ばれる力を使います。

この言霊は言霊信仰というより作中でも名前が出てきた「一言主(ヒトコトヌシ)」に由来すると考えるのが妥当でしょう。

 

誠のセリフにしばしば登場する

『吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神』

古事記の下つ巻に登場した一言主の名乗りの一節です。

誠たちが自称していたように彼らは神であり、一言主の末裔という解釈で間違いないでしょう。

しかし、なぜ彼らは俗世から離れて生活していたのでしょう?

言霊の力を無暗に行使しないように?彼らは神様であり俗世と離れているのは尤もらしい?

言霊は彼らの間でもしばしばやりとりされていたという描写があります。愛の雪も言霊によるものです。神様は地上にも「国津神」として存在していましたし、仮に彼らが俗世とは離れた「天津神」だとしても、地上に降り立つことが禁止されるでしょうか?

天津神が地上に降り立つということは、しばしば国の興りと関連されます。大国主命に国譲りを迫った時、あるいは天孫降臨の段。

重要なことだと認識されるのが普通ではないでしょうか。

 

ここからはただの個人的な解釈に過ぎません。オカルトの域から出ないようなことをそれらしく述べているだけです。

ヒトコトヌシは古事記の記述では雄略天皇を畏まらせたほど偉大な神様です。もちろん天皇の系統とは別の神であると解釈されます。しかしヒトコトヌシは時代を下るにつれて立場が低下していきます。「続日本紀」ではヒトコトヌシが天皇と狩りの獲物を争ったために天皇の怒りを買い、土佐の国へ流されたとされています。さらに時が流れて、「日本霊異記」ではヒトコトヌシはただの使役神まで格が落とされています。

これはヒトコトヌシを祀っていた賀茂氏の地位が低下したため、と言われています。

ここから無理やり解釈するならば、

誠たち故郷の人々は天皇によって流された一言主の末裔であり、恣意的に幽閉されていた。

ということになるでしょうか。一言主の力は受け継がれているが、幽閉されていたという事実はいつしか「外の世界には行ってはならない」という教えに変化したのでしょう。

繰り返しますがこれは個人的な考えです。あくまでオカルトです。

 

これに関連して主人公・誠の苗字についても考えてみました。

作中では学校に初めて行ったときの自己紹介

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と、このように言っていました

「カミ」から始まる名字です。神?神野、神山、神谷・・・

 

先ほどの解釈と同じく無理やりな理論で苗字を推測するならば「上賀茂」とかになるでしょうか。

もしくは単に「神」なのかもしれません。「神」は古代「かも」という呼び方もあったようです。

賀茂から神(かも)と表記が変わり、読み方も時代が下ると神(かも)から神(かみ)になったとも考えられますね。

「カミ マコト」

あまり語感がよくない気がする。

 

あくまで個人的な考え、オカルトです!

 

3、こころ√の位置づけ

さて、やっと作品全体的な解釈がおわりました。最後はこころ√の位置づけです。実は1で述べた「天」の解釈がここで大きく関わってきます。

こころ√をプレイ中印象的な場所、また何回も出てきた言葉や展開。それをひとつずつ挙げていきたいと思います。

 

印象的な場所

  • 礼拝堂・・・誠やこころたちが通う学校にある礼拝堂。学園はもともとミッション系だった。

繰り返し出て来た言葉

  • 禁断の果実・・・発言者はほたる。兄と妹の恋愛を揶揄した言葉。

展開

  • 言霊が効かない・・・こころの兄・誠に対する恋愛感情を抑えられなかった。病気を治すことに言霊は使えない。(しかし結局は言霊によって病気を治したが)

 

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お判りでしょうか。こころ√ではキリスト教寄りの言葉や場所が繰り返し出てきます。禁断の果実は「創世記」のアダムとイブが口にした知恵の実。礼拝堂の登場によってキリスト教的な解釈になるということが推測できます。

 

1で述べた「天」の解釈に戻りましょう。私は「天」を「人間を超越した存在」としました。神道的な解釈で単純に神と解釈しなかったのは、こころ√は神道で解釈することが難しいからです。(兄妹という話に限定すれば伊邪那岐伊邪那美の話と考えられますが)

 

むしろキリスト教的な解釈だと様々なことの説明がつくのです。それゆえ「天」は神道における神様と限定的にするのではなく、人類の上位存在という解釈をしました。

ほたるが禁断の果実と揶揄したように、二人は「兄妹」という一線を越えた恋愛感情を持ちます。

そして物語が進みこころと結ばれます。それは即ち禁断の果実を口にしてしまったということになります。

 

話を戻しましょう。こころ√では言霊の効かない場面が多く出てきました。(ほたるに関してはちょっと例外的ですが。)

 

言霊が効かないということは、つまり神性が物語から消失し、より人間的な話が展開されます。

誠は神の里から脱走し、人間の世界へ降りてきました。

それは誠が普通の人間足ろうとしたからであり、こころやあずきとの交流は誠の知らなかった「家族愛」を誠にもたらしました。

 言霊が使えないことにより、誠は人間として、こころの兄として、あずきの子どもとして、人間らしい感情を持ちました。

メタいですがゲームシステムから言っても、こころ√は最初に展開する話です。

 

先ほどの禁断の果実の話、アダムとイブの話はそもそもどのような趣旨の話なのでしょうか?

禁断の果実を口にしたアダムとイブのために、人間は罪——原罪を背負うことになりました。それはある意味、人類の始まりの物語です。

 

 

ここで解釈を述べてしまいましょう。

 

こころ√は

神の里から逃げて来た誠が、世界を愛すべきものと知り、人間として生きる第一歩目の物語

である。という位置づけが可能ではないでしょうか。

 

そして作品タイトルである「アマツツミ」即ち「天つ罪」がすべての話に一貫しているならばここで犯される罪は、楽園でアダムとイブが犯した「原罪」になるのでしょう。

 

ところで、アダムとイブの話にはもうひとり(一匹?)重要な登場キャラクターがいますね。 

それは楽園で一番賢かった「蛇」です。

禁断の果実を口にしたアダムとイブはそれぞれ誠とこころを指すなら、蛇は誰に当たるのでしょうね。

七つの大罪において、蛇は「嫉妬」の象徴とされています。もしくは羨望の裏返し。

 

誰やろなあ~(すっとぼけ)

 

 

繰り返しますがあくまでも個人的な解釈ですからね!

 

 

 

 

余談ですが誠は結局、死ぬことはなくあずきさんも助かりました。もしも言霊に強さの違いがあるとすれば誠の母親が言った「生きなさい!」と誠があずきさんに言った「生きてください。」のどちらが強かったんですかね。

結果的に見れば誠の母親なのでしょうが、誠の言霊は未熟であったため、本質というか意志の強さはわからないですよね。

 

 

 

なにはともあれ誠くんは一人の人間として生きる道を選びました。人を生かすのは愛だと知りました。この決断が後々も大きく響いてくる予感がする、そんなお話でした。