ゆりかごから脳死まで(仮)

u18は素で間違えた(低学歴)

トリノライン感想+軽い考察【ネタバレ注意】

クリアしてから2カ月経ちましたが、書き溜めていた分だけ放出。
感想の順番は自分が攻略した順です。主観を述べるのはあまり好きじゃないのでさらっと
ゲームの評価についても参考にならないと思うので省略


【夕梨√】余命僅かな夕梨が身体をアンドロイド化させることで延命措置を取るという話。「人間というのは非常に面倒くさいんだよ」という夕梨自身の科白をこれでもかというほど人間臭さを体現したシナリオでした。

【シロネ√】夕梨シナリオとは対称的に主人公がアンドロイド化して延命することを拒否し、尊厳死(といえるのかな?)を選ぶ話。正直最後のシロネのモノローグが一番この作品で好きだったかもしれない。

【沙羅√】効率を追い求めたアンドロイドが行き着く世界は、皮肉にも「アンドロイドによって人間が身体を管理される」というちょっと問題提起して、なんやかんやアンドロイドと対峙して説得して終わり。個人的には管理社会ifも見たかったかな。

《考察やらよしなしこと》
◎生と死、幸せなのは?
このゲームシナリオとしては夕梨シナリオとシロネシナリオが対照的になっているんですかね。アンドロイド化で永遠の命を手に入れるか、それとも最期まで人間らしく生きて尊厳死を選ぶか。
尊厳死やロボットに関連する諸問題は法哲学の講義で学んだ記憶があります。まあ法哲学はちょこっと齧っただけなので、多くは語れませんのでそれ相応の文献なりなんなりを見て頂ければ……。

このゲーム全体に言えることかもしれませんが、要は「何を幸せと考えるか」ということによるんだと思いますね。

生き続けることが幸せだと考えるか、最後まで人間として生きることが幸せなのか。

この選択は価値観によってそれぞれです。夕梨の場合は死がすぐそばにあったからこそより、生への執着が強かったのかもしれませんし、逆にシロネは永遠の命であり、主人公はそのシロネの苦しみを間近で見ていたからこそ、死を選んだのでしょうか。まあこの表現はあんまり正しくないかも。

結構昔の小説になってしまいますが、京極夏彦の「魍魎の匣」という話があります。
この話の中で、ある医師が事故(事件)で危篤に瀕した少女の命を助けるために、四肢切断、心肺以外の臓器を取り除き、「匣」に臓器の機能を持たせなんとか命を保つような状態にしました。この少女の事故(事件)に端を発し、この少女の誘拐、殺人、特殊なフェチズムを抱いた人物による猟奇的殺人事件、遺産相続によるいざこざなど連鎖的に悲劇が起きます。

主眼としては何を幸せに思うのかということです。ある人物は好いた相手(例えそれが死体であっても)と共に生きることに、ある人物は自身が「匣」になることに幸せを見出そうとしたり、ある人物は誰かの代わりになって生きることに幸せを見出します。

また中禅寺秋彦は「匣」に頼ってまで生きるのは人間とは言えないと非難します。人間は脳だけで感じるのではなく身体すべてで考えるから、機械によって保たれた体で考えることは人間の意志ではなく、それは機械の意志であると。

竹取物語の昔から、人々は不老不死に憧れ、また死を憐れみました。

何に幸せを見出すのかは本当にその人の価値観によるとしか言えません。


◎アンドロイド、AIと関連して
物語のプロローグの部分でシロネが舜以外の人間に拒否されるのはわりと想定内の出来事でした。というかこのテの話では天丼というか……

現実の話で置き換えるならば、AIと人間の関係ですかね。近年AIは目覚ましい進歩を遂げてきています。最近大きなニュースとなったのは将棋AIですね。ポナンザ先生には個人で将棋やるときの検討でよくお世話になっていたり……。

閑話休題

絵に関しても音楽に関してもギャグに関しても何でも
AIが生み出したものという注釈がつくと、人は嫌悪感を示す傾向が強いらしいです。

これはAIが考えたギャグですと言うと、頑なに『うわ、つまんねえ』とか言う人は必ずいるそうで

でもそれは人間特有のバイアスで、もし人とAIのどちらが作ったものか伝えずマスクさせた場合
それがクオリティ的に誰かを満足させられるかどうかは別にしても
どっちが作ったものか判別できないレベルには現実的になってきているのです。

まあ僕は理系ではないので、そちらの話はよくわかりませんが、近い将来、現在の仕事の50%近くがAIに取って代わられるなんて話もあります。そうなったら人としては若干AIを疎ましく思う気持ちもわからなくはないかな……

つまりこのゲームにおいては、人間と人工知能(アンドロイド)の共存における問題点を描出するために、シロネは人間に拒否される必要があったというシナリオ構成だったんですかね。

巷ではシンギュラリティの理論、いわゆる「技術的特異点」が何十年かのちに来るそうですが、僕はよくわかりません。

個人的には人間が人間である要素は決して効率化できないとは思います。よくわかりませんが


ディストピア
AIが行き着く先は超管理社会だった。というのが沙羅シナリオの本筋。

この世は、一匹の蝶がみている夢なのだ。

あるいは

水槽に浮かべられている脳がみせている映像にすぎない。

と言われても私たちは否定できません。なのでアンドロイドの管理下で電子空間で生きることになっても疑問を持つ人はあまりいないだろうし、否定することもできないのでは?と思ったり。






なんかもっと色々書きたいことあった気がするけどとりあえずこれで