堂々巡り
とてつもない自分語り日記。
自己肯定感や自己効力感が低いと言われる。
最近ツイッターでも言っていたことで、彼女が欲しくないわけでも性欲が無いわけでもないけど、自分と付き合うようになる人は可哀想だと感じてしまう。
世間一般で異性と付き合う人は相手に何を好いてもらえると思っているのかわからない、ということ。
簡単に言えば自分への評価が低すぎるということ。
例えば、今年卒論を書いている時も先生、先輩、同期、後輩といろんな人から褒めてもらった。でも自分は素直に受け取れず、「いや、まだ全然です」と答えていた。また、先輩に大学院への進学をすすめられた時も、「自分は多分ダメなので…」と返していた(らしい)
自分では自分の能力を客観的に評価したうえで正当な返しをしているつもりであるが、周りからはそれが謙遜に見えてしまい、あまりにも過剰なので卑屈に見られてしまっていた(らしい)
要は自分に厳しすぎる、ということだろうか。
実は過去にカウンセリングを受けたことがあって、その時も完璧主義者的なところがあって自己評価が低いとやんわりと伝えられてことがある。それが軽く自己中心的でもあると。
じゃあ自信を持てば改善するのか?
一般的に成功体験がその人を支えているという言説がある。でも自分はそうは思わない。なぜなら今の自分は失敗体験しか思い起こせないからだ。
自分は過去に学校生活からも恋愛経験からも一度失敗した人間だから。
話を戻すとそういう過去の失敗体験が自分の生き方にも根強く影響しているため、どうやら自分の恋愛観がズレてしまっていたらしい。
もう一つ違う角度から考えてみる。
例えば一般的に付き合うとなると、「相手を幸せにしてやる」という気持ちが生まれる(らしい)
でもそれはあまりにも綺麗事過ぎやしないだろうか?
究極的に言えばその根底には性欲があるはず。
生物としては当たり前のことであるが、それを綺麗事で包み隠してしまう感覚があまりにも気持ち悪く感じる。
もちろん性欲と恋愛感情が別であるということは理解している。しかし結局のところ行き着く先は同じで「相手」が対象になるだろう。
極端に単純化して言えば
「付き合ってください」≒「セックスさせてください」
だろう。
自分は一度ドロップアウトした人間だからそのように見えるのだろうか。
決して自分が嫌いというわけではない、むしろナルシズムの気すらあるように思う。
しかし他人から見た自分というのは全く違う。そのように考えたとき、自分と付き合うメリットが何一つない、と客観的に評価する。
だから自分と付き合う相手は可哀想なのだ。